新聞について
Hokubei Jiji/North American Times
北米時事は1902年にワシントン州シアトルで夕刊として発行されはじめました。その後、第二次世界大戦期間中に、事務所が米国政府によって閉鎖され、従業員全員がシアトルから立ち退かされ、強制収容所に入れられる1942年3月12日まで発行が続けられました。
北米時事は、シアトルの日本人協会所属の出資者団体が、日本人の関心があるニュースや出来事を取り扱う新聞を発行するために出資したことで始まりました。オフィスは5番街とメイン通りの交差点にあるK.Hirade社の地下に確保され、1902年9月1日に初版が発行されました。初代編集長の山田作太郎(鈍牛)の後任として、複数の編集長が続きました。その後1913年に有馬純清、杉尾正一等が共同オーナーを務め、北米時事は新聞社として安定し、実績を積み始めました。
北米時事は1920年代1930年代の間、発行が続けられ、読者が特に興味を持つ国内外の出来事に加え、地域の情報までを取り扱う豊富な情報源でした。特に土地法や移民問題を含むアメリカの反日活動の報道は貴重なものでした。
アメリカで生まれ、英語が堪能な日系二世がより影響力を強めた結果、英語ページが1930年代半ばに導入されました。英語でのページは小川ハーバートによって編集され、その後、園田ジャクソン、川尻慶太郎に引き継がれました。1941年にふかいブッデが編集部に加わりました。彼は第二次世界大戦後、数十年間記者を務め、後に影響を与える重要な記者となりました。
1941年12月7日、真珠湾攻撃の直後、編集長の有馬純雄はFBIに逮捕され、終戦まで監禁されました。編集者達は1942年3月9日まで発行を続け、そして長い間続いたシアトルでの日本語新聞は終わりを迎えました。
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